2007年1月の記事

hiroblog

新メンバー

January 25,2007

先週スタジオの新年会に出席。みんなの熱すぎるフラメンコへの思いをあらためて聞くことができ感動させてもらいました。お酒が入るとみんなを楽しませてくれる「伝説の破壊王」にも会えて大笑いの会でした。3月17日(土)の発表会へ向けて私も命がけで頑張ります!

そこで今回の発表会、歌い手新メンバー。

ルイス・モネオ

マヌエル・モネオ(カルロス・サウラの映画「フラメンコ」でアグヘータの隣でいぶし銀の歌を聞かせているタコおやじ)、酔いどれ天使ファン・モネオ“エル・トルタ”を有すヘレスの名門モネオ家の一人。現在アントニオ・エル・ピパ舞踊団ほか多くのトップ舞踊家と共演。サエタのコンクールでも優勝。ソリストとしても近年メキメキ頭角を現している歌い手。

ヘレスのペーニャで踊るときは必ず彼に歌ってもらっていました。都会に出てタブラオで長く歌ったりしていないので、ヘレスの良き香りをいまだ持っている歌い手です。特に地元でやる時などは気ままにコンパスに乗って歌ってくれるので、初めの頃、踊るこちらは振りをあわせにくく冷や汗かきながら踊ったのを思い出します。

日本で一緒に仕事をしていないのが不思議なくらい。彼も「ペーニャで踊るときばかりで一回も日本に呼んでくれないプンッ!」とスネ夫だったので、いつかいつかと思っていましたが、やっと今回来日です!

2003年にペーニャ・ぺスカエーロで踊ったときのこと。カンテソロの時にアントニオ・マレーナと彼のマルティネーテ合戦がありました。マルティネーテといったらヘレス。このカンテの味わいを知り尽くしている観客の前ではいやが上にも盛り上がります。二人とも得意技を繰り出し、観客たちも彼らの熱唱に酔いしれ「オレーオレー!」。はじめのうちはバチバチ火花を散らしていたのが、次第に互いのアルテに敬意を持ち始め、そこでルイスがマチョ(閉め歌)のとき、

y si no es verdad  もしも 本当でなかったら
si esto que digo no es verdad  私の言うことがうそならば
que Dios me mande a mi la muerte 神様、わたしに死を与え給え
si me la quiere a mi mandar もしもそうお望みならば

この2行目の「digo~私が言う~」を「decimos~私たちが言う」に即興で歌え変えたとき、アントニオの目から落涙。最後は二人で涙の絶唱。

幸せでした。
つぎは私が踊る番だったのですが、あまりの感動にやる気がうせたのと、出にくかったこと、この上なし。

こんな素晴らしいメンバーを迎えての発表会。乞うご期待。

プラスエラの生きる伝説たち

January 19,2007

ヘレスのペーニャ・ラ・ブレリアでまれに開催されるお年寄りたちのブレリア大会。皆様、フラメンコ2大地区のひとつプラスエラに住むパケーラ・デ・ヘレスやエル・トルタほか有名アルティスタのファミリアだったり、土建屋や的屋だったり、フーテンだったり・・・。このごく普通に暮らしているおじさま、おばさまたちの興宴が最高。

もう片方のサンティアゴ地区のブレリアの方が有名で、確かに比類なきもの。このプラスエラ地区のお年寄りたちの歌、踊りはあまり知られていないが、味わいが異なりこれまた格別。特に踊りは各人ぜんぜん違う。
観客はまるで最高のコメディーを見ているかのように「オレアッハッハ!」と大笑い。私などマジックを見ているみたいで目がグルグル回ってしまう。

プラスエラ地区独特の朗々とした歌は踊るにはちょっと難しい。しかしブレリアに限らず、「歌をよく聴いて踊らなければ」と言われるけれど、この人たちはまったく聴いていない。
よく旧友や家族と会話するときに、あまりにも長く連れ添っているため最初から大まかな内容や結論がわかってしまい、相手が話し出したとたん「なるほどね~」と相槌うってしまったり、笑っちゃったりする感じ。彼らはそんな風にカンテもギターも踊りもすべてが同時進行。だから踊る人が歌をいまさら「よく聴いて」なんてやってられない。熟練の寿司職人のごとく、おいしい「笑い」をチャッチャッとこしらえて食べさせてくれる。

エル・ロケ

まるで骨骨ロックみたいな踊り。グッラグラのフンニャフニャ。
両足広げて倒れ込みそうになったところを自分で襟をつかみヒョイッと元どおり、が必殺技。カンテの一番おいしいところにあわせてこの技をくり出すもんだからこっちは悶絶死。

カタツムリ売りのおじさん

勢いよく足を引っ掛けて「オッ!回るの?」と思わせて「なーんちゃって回らないもんね!」これにも笑い死に。その足をもどして「トンッ」。これがすべてのツボにはまり万病に効く。

ソリおじさん

私のアイドル(また後日詳しく)

アントニオ・デ・ロス・サントス”モネア”(左)

ヘレスに来たことのある人であれば、市場やビジャマルタの近くのバル、そこかしこで声をかけられたことがあるはず。散歩の途中80%の確率で出くわす、私にとっては愛しいヘレスの風景のひとつ。絶妙に音をはずしながら歌うカンテを含めすべてがフラメンコ。オレ!

ほかにも粋翁エル・ハリ、フラスキータ婆さんなどなど恐ろしい人たちがたくさん。
ヘレスにいらしたならば、この方たちが空に向かう前に是非このフィエスタをご覧ください。本当に大笑いできます。

私はなぜか幼少の頃食べた近所のサチおばさんがつくってくれた「竹の子ご飯」や、亀吉爺さんお手製の「たくあん」の味を思い出し、笑いとともに泣いてしまう。不思議ですねフラメンコって。

おやつ

January 12,2007

この写真、何だかわかりますか?

近づいてみると、なんだこれは?回転扉?

実はこれ、ヘレスの家のすぐ近くにある修道院(MONASTERIO DE MADRE DE DIOS C/ Manuel Torres, 2.)にある扉。なんとここで手作りのとってもおいしいお菓子が買えるのです。
修道女の人たちはお金の受領を姿を見せて行ってはいけない決まりなので、このように回転扉の向こうで注文を受けるわけです。

まず注文してからこのようにお金を乗せてグルリと回し・・・

すると、お菓子が乗ってきました!

この秘密の儀式みたいな感じがなんとも言えません。

中身は、左からメサ・レアル(ジャム入りクッキー)、トシーノ・デル・シエロ(濃厚プリン)

フルティータ・デ・アルメンドロ

他にもっといろいろあります。

私の好みで申し上げますと、スペインのお菓子は甘みが強すぎてなかなかおいしいと思ったことはないのですが、ここのお菓子類は手づくりで甘みが驚くほど控えめ。お母さんの味を思い出す、やさしい味で虜になっております。ヘレスの人も「モンハ(修道女)のつくるお菓子は最高だベ!」と言っております。

看板も掲げず、ひっそりとやっているのでわかりづらいのですが、ヘレスにはここ以外にもいくつかあります。もちろんスペイン各地の修道院にもあります。(ここの修道女の方が教えてくれました。)
旅の楽しみがまたひとつ増えました。

この場所はヘレスのカンテ2大地域のひとつ、サン・ミゲル(プラスエラ)にある、前にも紹介したカンテの神様マヌエル・トーレ

この銅像の真後ろにあります。(マヌエル・トーレはここで生まれ育ったため、後世この道に名前を冠しています。)

15世紀に創建されたこの修道院。もしかしてマヌエル・トーレもここの、この扉でお菓子を買って食べていたかも?そう思うだけでおいしさ倍増です。

(今回の紹介文、写真掲載すべて当修道院の了解を得て行いました。)

ロス・レジェス・マゴス

January 7,2007 06:40 AM

いよいよスペインも1月6日の ロス・レジェス・マゴス(イエス・キリストの生誕を知りエルサレムに向かった東方の三賢人が礼拝をし、捧げものをしたとされる日。)を迎えナビダ(クリスマス)が終わります。子供たちはクリスマスプレゼントをこの日にもらいます。その前日の夜に行われるカバルガタ(東方の三博士の仮装をした大行進)を見に行きました。この三賢人には毎年その土地の名士が扮します。前にラ・マカニータやモライートも嬉々としてやっていました。

この行列は4,5時間かけてヘレスの町を大行進し、飴やプレゼントを子供たちにばら撒きます。大通りはすさまじい人。大熱狂。みんな手で受け止めるだけでなく袋を広げ、中には傘を逆さに広げて無造作に投げられるプレゼントを難なくゲットする必殺技をやっている人も。私はものすごい勢いで投げてくる飴がメガネに当たりはしないかとドキドキで直視できない。アッという間に飴は周りの人に取られてしまう。
羊やラクダもこの行進の中にいて、何よりも驚いたのが本物の象が子供を踏みそうになりながらパオ~~~ン!!!

これには度肝抜かれました。

それでもひるまず生まれて初めて象の素肌にタッチ。硬いと思ったらプニャっとしてました。

この日をもってビジャンシーコ(クリスマスソング)も歌い納め。
ビジャンシーコはよくフラメンコでもブレリアにのせて歌われます。そこでご紹介。

「Fiesta en Lebrija y Siempre Jerez」

この2曲目にマノリート・ヘロ(ヘレスの最高のギターリスト、ニーニョ・ヘロのお父さん)が「Camina La Virgen Pura」より一節採って歌っています。

(Como) El camino es tan largo
pide el niño de beber

No pidas agua mi niño
no pidas agua Manuel

Que los ríos vienen turbios
y no se pueden beber

マノリート・ヘロ(1929-1992)

このお方、フラメンコの世界遺産「Rito y Geografía del Cante」のDVDでも最高の歌と踊りを披露しています。絶妙なビブラートを使っての歌い方(ふざけ方)とコケティッシュな踊りで私の目指す最高峰のフラメンコ。
あるフィエスタの夜、ホアキン・コルテス舞踊団で活躍している歌い手ファニャーレスがこのお方のファミリアで、そっくりに歌って踊ってくれました。あまりに似ているので大笑い。と同時にすでに存在しない彼の至芸にちょっと悲しくなりました。

1970年代初めに発売されたこの復刻盤CD。ほかにもピリニャーカおばさんとボリーコおじさんが交互にブレリア・ポル・ソレアを歌ったり、レブリーハの素浪人ミゲル・フニがカンティーニャ・デ・ピニーニをチャキチャキと歌ったり、フェルナンド・デ・ラ・モレーナがゴリゴリブレリアを歌ったり、ペドロ・ペーニャが黒すぎるシギリージャを弾いたりする、一家に一枚の超名盤です。

新春ジョギング!

January 4,2007 08:08 AM

昨年の12月4日に終了した「FLAMENCO 曽根崎心中」以来まったく踊ることなく、ここヘレスに来てからもブレリアのヒョイヒョイ踊りのみ。体がなまってきたので新年早々ジョギングを始めました!
古い町並みの中、歴史的建造物を眺めながらの

ジョギングは時の経つのも忘れて・・・と思いきや、今ヘレスはユーロ移行後の好景気にあおられ大都市計画進行中の建設ラッシュ。トラックだらけ砂だらけの大通りに出てしまいゲッホゲホ。
どうにか抜け出そうとしたとき目前に現れたのがいかにもアンダルシアな丘。

そこを走ったらさぞかし気持ちがいいだろうと一目散に駆ける。
しかし行けども行けども辿り着かず、気づけば不法投棄のゴミの山の中に潜入してしまい、またゲッホゲホ。さらに道に迷ってしまい、クッタクタ。
それでも大汗かいているので、歩いてしまってはこの冬の最中すぐに体が冷え風をひいてしまうので、家に着くまで強制的に走るしかない。
やっとのことで市街地に出る。すごい人ごみで邪魔者扱い。半べそ。
結局30分の予定が1時間半も走ってしまう。
おかげで次の日強烈な筋肉痛に見舞われ、歩き始めた赤ん坊のようなヨチヨチ歩きでヘレサーノたちに慈愛のまなざしで見つめられている佐藤浩希です。

¡Feliz año nuevo!

January 1,2007 12:00 AM

あけましておめでとうございます。
皆々様には、よいお正月をお迎えのことと存じます。
旧年中は大変お世話になり、誠にありがとうございました。
何とぞ本年もよろしくお願い申し上げます。

本日元旦よりブログをはじめさせていただきます。
これまで文章を書いて人様に見せるという経験がほとんどなく、加えて筆不精。
気まぐれで稚拙なものしか書くことができませんが、少しでも我が愛するフラメンコの素晴らしさと鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団ARTE Y SOLERAの近況報告をお伝えできればと思います。

さて、堅苦しい挨拶はここまでにしてこれからは気楽にいきます。また、もともとオタッキーなので書く内容がマニアックに偏るかもしれません。ご了承のほどを。

ただいまヘレスにいます。折りしもクリスマスから新年、そして1月6日のロス・レジェス・マゴスまで続くフィエスタの真っ最中。そこかしこでビジャンシーコ(クリスマスソング)が流れ、私もペーニャ・ラ・ブレリアでディエゴ・ルビチが歌う古謡を聞きながら、フィノ(シェリー酒)に舌鼓。なんて贅沢な毎日を送っています。
ビジャンシーコはスペイン全土にありますが、特にここヘレスのものはその土地柄からかフラメンコの味わいたっぷりで、サンボンバ(ビジャンシーコを歌う集い)には近郊のセビージャ、ウエルバなどからわざわざ聞きに来る人(私もわざわざ遠い東方の国よりはるばる聞きにやってきたひとり)もいるほどです。
近所の人たちや友人同士でつくったグループが沢山あり、町の広場でよくサンボンバが催されています。ペーニャ・ティオ・ホセ・デ・パウラやペーニャ・テレモートのヒターノ(ジプシー)のおばちゃん、おじちゃんが歌って踊るものはこの最高峰で区別なくフラメンコそのもの。
でもちょっと前まではビジャンシーコを聞きに行く、または人に聞かせる会は無かったとのこと。基本的には家族や近所の人たちと楽しむもので、このシーズンになると家の前で薪をしてその回りで毎夜楽しんでいたと言っていました。それがヘレス全土で一般的だったものが時代の流れであまり見られなくなったとのこと。(涙)
もちろんノチェブエナ(12月24日)の日には家族で集まりみんなで歌い踊りが繰り広げられます。
有名な「ロ・カミーノ・セ・イシエロン」や「ウナ・パンデレータ・スエナ」などを覚えて一緒に歌えると最高です。メロディーは覚えやすいし、楽しいし、カンテの勉強にも必ずなります。
ではここでこのシーズンに歌われる一曲と極めつけのアルティスタをご紹介。

「カンパニジェーロ」
約100年前のおそらくこの曲最古の録音ですが、言わずと知れた伝説のカンテ・ヒターノの神様が歌うと、まさしくドゥエンデ(魔の刻)の現出を目の当たりにできます。後年ニーニャ・デ・ラ・プエブラが叙情的に歌い上げ大ヒットし、現在では彼女のスタイルで多く歌われています。
数年前このシーズン中、ヘレスのバルでガンガンに盛り上がっているところ、ある古老の紳士が突然この歌を歌いだしました。周りは静まりかえり、最後は泣きながらの熱唱に歓喜のオレー!オレー!でした。

マヌエル・トーレ(1878-1933)

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